この映画は、「磁場か何かの異変で、死んだ人が生き返ってくる」という話だが、決してオカルト・恐怖映画ではない、切ないラブストーリーであり、人間の愛を問いかける話なのだと、私は思う。
九州地方阿蘇山近くの或る町で、「一度死んだ人間が次々と生き返る」事件が起きていた。
50年前に山で道に迷い死んだ少年や、いじめで自殺した少年、病でこの世を去った奥さん、けんかの仲裁に入って殺された男、などのたくさんの人たち(黄泉がえり人)は、死の直前の元気な姿でこの世に戻ってきているのである。
厚生労働省に勤務する「川田平太(草なぎ剛)」は、自分の生まれた町でその事件が起きていることもあり、調査するためにふるさとに帰ってくる。そして、友人である「橘葵(たちばな あおい=竹内結子)」と久し振りに出会うが、「葵」も、死んでしまったフィアンセ「俊介」(平太の親友でもあった)に黄泉がえってほしい。と願っている。
調査を進めていく内に、亡くした人への強い思いと「遺骨」や「へその緒」などの遺品がある場合に死者が黄泉がえることを知った「平太」だが、密かに「葵」を愛していた「平太」は、「俊介」を黄泉がえらせる方法を知りながら、「葵」と「俊介」を会わせたくないために黄泉がえらせることが出来ることを教えないのである。
しかし、あと一日で黄泉がえった人たちが消えてしまうと知った「平太」は、「葵」と「俊介」を会わしてやりたくなり、生前の「俊介」がドナー登録をしていて「骨髄の検体」が鹿児島に残されていることを知り、「検体」を借り出しに鹿児島に向かう。
そして運命の日を迎える。
2年ほど前に死亡したと言われているカリスマ天才歌手「ルイ」が突如として現れ、彼女の作曲家であり、恋人であり、プロデューサーでもある「SAKU」と共に、黄泉がえりが続出している阿蘇の地でコンサートを開くとインターネットで発表され、阿蘇に多くのファンが殺到する。
「SAKU」も「ルイ」の強い想いで黄泉がえってきた一人で、彼の作曲する歌を「ルイ」が歌いながら「SAKU」を見送るために開かれるコンサートだったのである。
鹿児島から「俊介」の「検体」を持ってコンサート会場に向かう「平太」は、「葵」にもコンサート会場に向かうように携帯電話で指示する。しかし、コンサート会場に向かった「葵」の体に異変が。
実は、「葵」も一度交通事故で死亡した人間だが、「葵」を想う「平太」の強い願いで黄泉がえった一人だったのである。
映画の中では、決して「葵」のことを「黄泉がえり」だとは説明しない。それどころか、調査の為にふるさとに帰ってきた「平太」が、「葵」も黄泉がえって居ることを信じて、かって「葵」が済んでいたアパートを訪ね、黄泉がえった「葵」がアパートに戻ってくるのを、ごく自然に迎えたりさせている。
また、「葵」は、「平太」に、
「私も、東京に出ようかと思っている。その時は、時々会ってくれる?」
とのせりふも言っているのだから。
「葵」が黄泉がえりだと気付かせられるのは、映画の終わり近くで「葵」の体が透けてくる場面であろう。
それまでは、「平太」は「葵」をそのまま受け入れ、「葵」も「平太」との出会いを精一杯生きようとする。
本当は「葵」が好きだったのに、親友の「俊介」に「葵」との交際を相談され親友に「葵」を譲った「平太」。そして、それを受け入れた「葵」。
しかし、二人は、心の隅でずーっとお互いを想い続けていて、その想いの深さで「葵」が黄泉がえったのであろう。
この映画を、「平太」と「葵」の切ないラブストーリーだと、私が思う理由である。
何とか「俊介」を黄泉がえらせ「葵」に会わそうと電話で指示する「平太」に、「葵」は、
「違うの。私は、平太に会いたいの。」
と言い返す。
その時、「葵」の体が消えかかる。焦る「葵」に「平太」は出会う場所を指示し、二人はその場所に向かう。
出会った場所で「平太」が、
「何で俊介が黄泉がえらないんだ?」
と叫んだ時、「葵」が言う。
「もういいの。私は、平太に会いたくて黄泉がえったの。」
それを聞いた「平太」は、
「俺は、葵のことが好きだった。
ずっとずっとお前のことだけが好きだった。」
「何でもっと早くそれを言わなかったのよ。」
初めて二人の思いが伝わり合った時、
「もっともっと一緒に居たかった。」
と言いながら、「葵」の体が消えてしまう。
愛する人を失った人間が、その後をどう生きるか。それを問いかけて物語は終わる。
私は、主人公の「平太」と「葵」の話に絞って粗筋を書いたが、映画の中では色々な人たち(遺族と黄泉がえり人)の3週間が描かれており、人間の心の交流が優しく描かれ、忘れがたい映画である。
今後テレビで放映されることがあったら是非観てください。または、ビデオとかDVDでも出されているので、レンタルするか買うかして御覧ください。
しかし、「柴咲コウ」が扮する「ルイ」は、雰囲気があったなあ。
前田たかひろが作詞をし松本良善が作曲した「泪月(おぼろ)」という曲も、Satomiが作詞し松本良善が作曲したこの映画の主題曲「月のしずく」も、歌詞のおどろおどろさとしっとりと押さえたメロディが相まって、この映画にぴったりの雰囲気を作り出していた。
また、「柴咲コウ」も、変なアクションを入れず、無表情に、ひたすらマイクを両手で包み込み、思いを送り込むように歌っていた。
それ程の歌唱力が有るとは思えないが、この映画では無くてはならない存在であった。