「恵比寿屋喜兵衛手控え」の粗筋とネタバレ
 総まとめ


 「恵比寿屋喜兵衛手控え」の粗筋とネタバレの、総まとめである。



<「旅人宿」と「百姓宿」の確執>

〇栄え始めた頃の江戸には、
 幕府の方針で、「旅籠屋(はたごや=旅館)」は、
 「馬喰町(ばくろうちょう)」にしか存在しなかった。
〇そして、江戸の観光客や通りすがりの旅人、身寄り知人のいない者は、
 「馬喰町」の旅籠に宿泊しなければならないことになっていた。
〇その理由は、一カ所に集めておけば、
 犯罪者の探索や取り締まりに便利だからである。
〇これが、「旅人宿」である。

〇元禄時代以降、「馬喰町」以外の江戸の彼方此方に、
 旅籠が出来るようになったが、
 身寄りや知人の無い者は、「馬喰町」に泊まらなければならないので、
 江戸に身寄りや知人の居る者しか泊めることが出来ない。
〇それでは経営が成り立たないので、
 身寄りや知人が無い者でも、知人が居る者のように偽装して
 泊めるようになった。
〇これが、「百姓宿」と呼ばれるものである。

〇宿泊客を奪われ始めた「旅人宿」は、お上(幕府)に、
 ”「百姓宿」が勝手なことをしているので、差し止めてほしい。”
 と願い出た。
〇それを受けたお上は、
 ”観光客や通りすがりの者は、身寄りや知人が居ても、
  全員、「旅人宿」に泊まらなければならない。
 と定めてしまった。
〇結果、「百姓宿」は、
 本当の身寄りや知人しか泊めてはいけないことになり、
 「百姓宿」は「旅人宿」を、深く憎むようになった。

〇これが、事件の背景となった。


<恵比寿屋喜兵衛>

〇江戸の馬喰町(ばくろうちょう)に有る「恵比寿屋」は、
 地方から江戸に上って来るお客を泊める、
 「旅人宿」と呼ばれる旅籠屋(はたごや=旅館)の老舗で、
〇「恵比寿屋」の主人である「喜兵衛」は、
 旅籠屋の主人であると同時に、
 「公事訴訟事(くじそしょうごと)=裁判」を手助けする仕事をしており、
 地方の者が訴えたり訴えられたりして、
 江戸の奉行所で裁きを受けなければならなくなった時の、
 書類作りや裁判の付き添い、手助けをしている。
〇「喜兵衛」は仕事熱心で、学習意欲も高く、
 今までの公事訴訟(裁判)を調べたり書き写したりして力を付け、
  ”「恵比寿屋喜兵衛」は公事訴訟に強い。”
 との高い評判を集めるほどになっていて、
 「喜兵衛」の助けを借りる為に、「恵比寿屋」に泊まるお客も
 増えるほどだった。

〇仲の悪い「旅人宿」と「百姓宿」だが、
 「百姓宿」の1つ「大津屋」の若主人は、
 人柄も良くて、親切で、「旅人宿」「百姓宿」の隔てなく接するので、
 若い連中から慕われ、「恵比寿屋喜兵衛」も、「大津屋」に通った。
〇そして、その妹「絹」と親しくなり、結婚を誓い合うようになった。
 睨み合う「旅人宿」と「百姓宿」なので、両家の両親は反対したが、
 「絹」の実兄である「大津屋」の若旦那が取り持って、親たちを納得させ、
 「喜兵衛」と「絹」は結婚した。
〇祝言は盛大で、「旅人宿」「百姓宿」の主人などが100人ほどが集まり、
 ”これで、「旅人宿」と「百姓宿」は仲直り出来る”
 と喜ぶ古老もいたほどだった。

〇「喜兵衛」と「絹」の間には、
 息子の「重吉」と娘の「糸」が生まれた。
〇しかし、「絹」の実兄が、結婚式の6年ほど後に、伝染病で死に、
 「絹」も我儘が出始め、「喜兵衛」との仲も悪くなる。
〇そして、「絹」は病を患い、殆ど寝た切りになってしまう。
〇そんな夫婦の様子を観た知人が世話をして、
 「喜兵衛」は「妾(めかけ)=2号=愛人」を、
 深川に囲うようになり、男の子も生まれるのだった。

〇また、息子「重吉」は、「公事訴訟」に大切な文章力と興味が無く、
 家を飛び出して、錠前屋の職人になり、そこの姪と結婚してしまった。
〇娘「糸」は、博打(バクチ=ギャンブル)ばかりしているヤクザ者に騙され、
 「喜兵衛」たちの反対を押し切って結婚し、
 僅かなお金も夫に巻き上げられ、
 古着を着て暮らすような、貧しい生活を送るようになっていた。


<怪しげな公事訴訟>

〇「恵比寿屋」の「喜兵衛」を頼って、
 越後の柏崎の隣の、刈羽郡(かりわごおり)の比角村から、
 「六助」と言う若者がやって来て、「恵比寿屋」に泊まることに。
〇この若者が持って来たのは、
   ・越後縮(えちごちぢみ)を生産者から直接仕入れ、
    売る仕事をしている兄の「庄平」が、
   ・手付金を貰いながら、「縮」を渡さなかったので、
    60両の手付金を返してほしいとの訴えを起こされた。
   ・兄「庄平」は、決して手付金など貰っていないし、
    訴えを起こして来た正十郎には会ったことも無い
 と言うものだった。
〇この時の支配大名は、
   ・縮の市場が開かれる魚沼郡十日町は会津松平の領地で、
   ・「庄平」たちの住む刈羽郡は陸奥白川の松平の領地で、
 藩が異なる者たちの公事訴訟(裁判)となると、
 江戸に出て来て、寺社奉行に裁いてもらうことになる。
〇そうなると、
 奉行所に呼ばれて、聞き取りをされ、判決を貰うまでは、
 数か月も掛ることになり、
 その間、江戸の旅籠(旅館)に泊まり、待ち続けなければならず、
 訴えられた金額よりも多い多額の費用と、無駄な時間が掛かる為、
 訴えられた多くの者たちは、涙を呑んで「内済=示談」するのである。
〇それを良いことに、嘘の公事訴訟をでっち上げ、
 内済金をせしめる悪党が多く出て来るようになり、
 幕府も、厳しく禁止したが、悪党どもは次々と出て来ていた。
〇「六助」は、
   ”兄は、その詐欺に引っ掛かった。”
 と言うのである。


<襲われる「喜兵衛」>

〇「喜兵衛」が人通りの少ない通りを歩いている時、
 背が高く、猫背の浪人に切り付けられるが、
 たまたま駕籠かきが通り掛かり、浪人は去って行った。

〇「喜兵衛」は、若い頃、剣道に通っていて、
 その時の兄弟子である直参旗本の「花田縫殿助」は、
 とんでもなく素行の悪い旗本で、
 月に1回、「喜兵衛」の宿を訪ねて来て、金を無心していた。

〇「喜兵衛」は、「花田」とはあまり関わりを深くしたくなかったが、
 他に方法も思い付かなかったので、「花田」に、
 浪人のことを調べてもらうよう頼み、40両も払うことになった。


<「大津屋茂左衛門」の恨み>

〇「大津屋」の若旦那は、「喜兵衛」の妻の「絹」の兄で、
 気性が良くて、誰彼の隔て無く接するので、人望が有り、
 「喜兵衛」も、兄のように慕って「大津屋」に通う内に、
 「絹」との縁が出来て、結婚した。

〇しかし、その当時は「茂七」と言う名前で、
 「大津屋」の手代をしていた「茂左衛門」は、
 従姉妹である「絹」のことを好いていた。
〇「絹」も、苦み走った良い男の「茂七」を好いていたが、
 「旅人宿」の老舗「恵比寿屋」の跡取り息子「喜兵衛」が
 兄を慕って「大津屋」に遊びに来る内に、
 将来のことを考えて、「喜兵衛」に乗り換えたのである。
〇そのことに恨みを持っていた「茂七」だが、
 ただの手代にはどうすることも出来ず、涙を飲んでいた。

〇ところが、「喜兵衛」と「絹」が結婚して6年後、
 「絹」の兄が伝染病で急死してしまった。
〇兄には子どもが居なかったし、「絹」は嫁いでいたので、
 従兄弟である「茂七」が、「大津屋」の跡を継ぎ、
 「茂左衛門」と名乗るようになった。

〇そのような流れを経て、「喜兵衛」と「茂左衛門」は、
 親戚として、表面上は普通の付き合いをしていた。

〇しかし、「喜兵衛」が「旅人宿」の行事(幹事)として、
 「百姓宿」の不利になるような願いを幕府に出そうとして、
 「茂左衛門」たちは、「喜兵衛」への恨みを深めていた。

〇そんな中、
 「喜兵衛」との夫婦仲が悪くなり、病気勝ちになった「絹」は、
 「茂左衛門」に手紙を書き、不満を訴えた。
〇想い合っていた「絹」を取られた上、「絹」を不幸にし、
 自分は妾を囲って子どもまで産ませている「喜兵衛」に、
 益々怒りを深めた「茂左衛門」は、
 ならず者の直参旗本「花田縫殿助」に頼み、
 「喜兵衛」を殺そうと企んでいた。

〇「喜兵衛」は、
 「花田縫殿助」が知り合いの浪人に自分を襲わせたとは知らず、
 有ろうことか、「花田縫殿助」に犯人の浪人探しを、
 お金を渡して頼んでいたのである。

〇「茂左衛門」にとって、「喜兵衛」を殺すのは、
 今までの恨みを晴らすことが狙いでもあるが、
 「喜兵衛」が死ねば、
  ・息子の「重吉」は「恵比寿屋」を出ていて帰ることも無いし、
  ・娘の「糸」も、ヤクザ者と生活していて帰ることも無いので、
 「絹」と結託し、「恵比寿屋」を乗っ取ることが出来る、
 美味しい話でもあった。
〇「絹」にしても、このままでは、妾の子どもが「恵比寿屋」を継ぐので、
 我慢がならないことで、「茂左衛門」と考えが一致したのである。

〇しかし、誤算が。
 と言うのも、狡猾で、ならず者旗本の「花田縫殿助」が嗅ぎ付け、
 「絹」を強請り始め、「絹」は持っていたお金を全部巻き上げられ、
 買い貯めていた高価な着物や帯、簪(かんざし)なども
 売ってお金に換え、「花田縫殿助」に渡し、
  ”早く死んで、こんな地獄の生活から逃れたい。”
 と、世話をしてくれる女中婆さんに、泣いて悔やむのだった。

〇そして、「絹」は苦しみながら、死んで行ったのである。


<吟味与力「仁杉七右衛門」の裁き>


〇訴えが奉行所に採り上げられるには、
 事前の審査を通り、お奉行の判子(御裏判)が押されなければならない。

〇それなのに、「庄平」が60両の手付金を貰いながら、
 「越後縮」を渡さなかったと言う訴えは、
 訴えの代表例が「庄平」の件になっているが、
 その他51人を相手とする、総額で450両にもなる訴えで、
 おまけに、訴えの案件が3年間ほどに集中している、
 どう考えても、怪しげな訴えであった。
〇と言うことは、
  ・訴え主の信濃の「正十郎」たちが、
   越後などに行き、古い請求書などを安く買い集め、新しい訴訟にして、
  ・訴えられた側が、江戸まで出て来て裁判を受ける為の
   多額の費用と時間を嫌がって、内済(示談)にしてお金を出す
 ことを狙った詐欺であることが明白な訴えであると、誰にも分る。

〇判決が出るまで江戸に留まっていると、
  ・費用は150両とかになるし、
  ・農作業や商売を捨てて、呼び出しを待たねばならず、
 それを嫌って、訴えられた側は、涙を飲んで、内済金を支払うのである。
〇結果、全ての訴えで、訴えられた側が内済金を出せば、
 300〜400両を超える内済金が入って来るだろう。

〇問題は、そんな良い加減な訴えが、何故、上まで通って来たかで、
 前のお奉行様が死去され、新しい奉行が赴任して来た時、
 取り調べが厳しく間違いが無いと有名な吟味与力「仁杉七右衛門」に、
 奉行が、直々に取り調べの担当を命じた。
〇吟味与力は、今で言う「検事」に当たる役職である。

〇結果、
  ・死去した前の奉行が連れて来た家来の与力が、
   家族に2人も病人が出て、治療費が嵩み、
  ・それに付け込んだ者たちが、賄賂を渡し、奉行の判子を押させた
 と突き止めた。

〇しかし、裏には、複雑な事情が隠されていた。と言うのも、
  ・「庄平」の越後縮の買い付け仲間に「奥松」と言う男が居たが、
   十日町に有る縮問屋の「三国屋」から越後縮を300反の注文を受け、
   一人では無理なので、
   「庄平」に150反ほど集めるのに協力してくれと頼んで来た。
  ・その頼みを受け、「庄平」は154反を「奥松」に渡し、値段は114両と決まった。
  ・その時、「奥松」は、58両だけ「庄平」に先渡しし、
   後は、三国屋から代金を貰ったら、払うことになった。
  ・その時、「正十郎」が割り込んで来て、自分にも「縮」を分けろと迫り、
   手付前渡し金として、60両を「奥松」に渡していたと言う。
  ・ところが、「奥松」は、
    「庄平」に渡すはずの56両と、
    「正十郎」が渡した手付金60両、
   を持って、嫁と子どもを連れて、「欠落(かけおち=脱走)してしまった。
 のである。

〇それを受け、
  ・「正十郎」は、「庄平」に手付前渡し金60両を返せと迫り、
  ・「庄平」は、60両は受け取っていないので、返す必要は無い。
   逆に、「奥松」から貰うはずだった56両を、三国屋に払ってほしい。
 と、それぞれが、訴えることになったのである。

〇事件を任された吟味与力「仁杉七右衛門」は、
 部下を越後や信濃に調査に走らせ、
  ・信濃に住んでいると言う「正十郎」は、
   実は、江戸の市ヶ谷に住むゴロツキで、
  ・越後や信濃に行って、古い借用書などを買い漁り、
   それをネタに、偽の訴訟を起こし、内済金を稼ぐ悪党。
  ・ひょとすると、「奥松」と嫁と子どもは、「正十郎」たちに殺され、
   114両も、奪われたのではないか。
 と、突き止めていたのである。

〇結果、
  ・「正十郎」たちは、入牢を申し付けられ、
  ・「奥松」殺しの追及も受ける。
 ことになった。


<「喜兵衛」の逆襲>

〇妻の「絹」が亡くなった時、
 長年、「絹」の世話をしていた「お種婆さん」から、
   ・「絹」が「大津屋茂左衛門」と文を交わして、
    「喜兵衛」が冷たく、自分に構ってくれないこと
    などを訴えていたこと、
   ・二人が浮気をしていたこと、 
   ・二人の関係や、二人が「喜兵衛」を恨んで、
    「大津屋茂左衛門」が「花田縫殿助」に、
    「喜兵衛」殺しを頼んだこと、
   ・「花田縫殿助」がやって来て、
     ”大津屋から「喜兵衛」の殺しを頼まれた。
      お前たちの浮気も知っている。
      公にされたくなければ、金を出せ。
    と強請られて、多額の金品を奪われていたこと、
  などを聞いて、浪人に自分を殺させようとしたのが、
  「大津屋茂左衛門」だと知る。

〇「喜兵衛」は、
   ・「花田縫殿助」は危険過ぎて、関わらない方が良いだろう。
   ・それに、素行が悪いので、放っておいても、
    その内、江戸追放や改易になるだろう。
  と考えた。

〇しかし、「大津屋茂左衛門」は許すことが出来ないので、
 吟味方与力「仁杉七右衛門」を訪ね、
   ・信濃の「正十郎」が起こした怪しげな訴訟を通す為、
    前の奉行の家来だった与力に賄賂を渡したのが、
    「大津屋茂左衛門」であること、
   ・奉行所の中に、「仁杉七右衛門」様と権力を争い、
    「仁杉」様の失敗を待っている与力が居ること、
   ・その与力は、
     行方不明になっている「奥松」と嫁の居場所を知っていて、
     「仁杉」様が、「奥松」殺しで「正十郎」などを死刑にさせたら、
     その後で、「奥松」を引っ張り出し、
     「仁杉」様が、無実の罪で死刑にさせた過失を作り出し、
     「仁杉」様を追い落とそうとしている。
 などと、自分の考えを伝える。

〇吟味方与力「仁杉七右衛門」は、
   ・「正十郎」たちを牢屋から出し、
      殺人の罪は無かったこととし、
      江戸からの「追放」を命じ、
   ・「大津屋茂左衛門」は、今回の詐欺訴訟の首謀者として入牢させ、
    屋敷や家財を没収し、江戸からの追放を命じる。
 判断を下した。

〇これで、二度と襲われることも無くなった「喜兵衛」の元に、
 息子の「重吉」がやって来て、
   ・茂左衛門おじさんが牢屋に入れられたこと、
   ・茂左衛門おじさんは、「追放」の覚悟は出来ているらしいこと、
  を伝えると共に、
   ・幕府に取り上げられた「大津屋」が競売に掛けられたら、
    おとっつあんに入札して買ってほしいこと、
    でないと、「大津屋」の子どもたちが路頭に迷うこと、
   ・入札には、1000両ほど掛かるが、
     大津屋の財産は全部取り上げられるが、
     両替屋に300両ほど残っているので、それは遣えること、
    残りの700両を、おとっつあんに出してほしいこと、
   ・自分は、おとっつあんに妾と息子が居ることは知っているし、
    「恵比寿屋」の財産は要らないので、
    おとっつあんが私に、少しでも財産をくれるなら、
    それを、「大津屋」の入札に遣ってほしいこと、
 などを頼んで来た。

〇元々は無口な「重吉」なのに、
 今の口調は、死んだ「絹」が乗り移って喋っているようで、
 くらっと眩暈を起こし、「恵比寿屋」の柱を支えにして倒れるのを防いだ。
〇その「喜兵衛」の目に、
 「滅罪」を願って全国を巡礼して歩く六十六部の姿が映り、
 「喜兵衛」は、六十六部に自分の姿を重ねてみるのだった。

完結