時代背景

 映画「ラスト・サムライ」は、物語の場面を、江戸幕府が倒され、明治政府が「近代国家」「文明開化」を目指していた時代としている。
 そして、事件や人物は、あくまでも架空(かくう)の設定であるが、随所(ずいしょ)に実際に有った出来事をパクって入れて物語を作っているように思える。その点を、史実と映画を比較しながら書いてみたい。

<廃刀令(はいとうれい)、断髪令(だんぱつれい)>
 「廃刀令(刀を捨てさせること)」や「断髪令(丁髷(ちょんまげ)を切らせること)」であるが、政府は、「外国に追いつくためには日本特有の文化を捨てることが一番」と考え、刀を取り上げ、丁髷を法律で止めさせようとしたのである。
 映画の中でも、明治政府の主導者(参議)の会議に「勝元」が刀を差して出席したことを咎(とが)め、逮捕し蟄居(ちっきょ)させる場面があるし、町中で、刀を差し髷を結(ゆ)って歩いている若者を、警官数名で取り囲み、銃を突きつけ、刀を取り上げ髷を切り取る、という場面を採り入れている。

 「断髪」のことであるが、庶民が命令を聞かないので、明治6年には「天皇」自らが丁髷を切って(切らされて?)庶民に模範を見せたというエピソードもあったようである。
 また、村人を全員集合させて、一度に髷を切らせた事件や、髷を切らない者に税金をかけた例や、丁髷を結った床屋(散髪屋)に税金をかけたり罰したりした例もあるそうである。


<徴兵令(ちょうへいれい)>
 江戸時代までの日本は、サムライを中心に軍隊が組織されていたし、明治維新が起きてからも、薩摩藩や長州藩など明治政府の中心になった藩が兵隊を提供し天皇の軍隊を作っていたようなことで、決して近代的な軍隊ではなかったようである。

 しかし、諸外国の様子を学んだ明治政府は、外国に負けない軍隊を持つため、明治6年にフランスの制度を見習って「徴兵令」を発布し、庶民から兵を集め、訓練をして組織的に戦える軍隊を育てることに努力したようである。
 ただ、この時期の徴兵制度は、「戸主や跡継(あとつ)ぎは徴兵を免(まぬが)れる」とか「お金を納めれば徴兵を免除される」とかの抜け道があったため、跡継ぎが無く廃家になっていた戸籍を買って戸主になり兵役を逃れる者も居たそうである。

 そういうことは有ったとしても、志願兵方式にすれば「元士族」中心の軍隊になるところを、敢(あ)えて「国民皆兵(こくみんかいへい)」にしたところが、明治政府の政策の優れたところであったかも知れない。
 そうして集まった素人軍隊を徹底的な訓練で鍛え上げ、後に大国ロシアを相手に戦争出来る軍事大国にまで育て上げたのは、日本人の向学心と真面目に頑張る国民性のなせる技であろう。

 さて、こういった素人集団を鍛え上げるために、実際に外国から教官を呼んでいる。
 江戸時代の末期は、フランスやアメリカ、イギリスなどの各国が、銃や大砲、船などを買ってもらったり貿易を盛んにして利益を上げたりすることを目的に、幕府や各藩に売り込み合戦を行ったようである。
 しかし、明治政府になってからは、例えば「海軍」は、7つの海を支配すると言われた「イギリス海軍」に学ぶため、30名あまりの指導教官を招いて訓練を受け、ロシアのバルチック艦隊を殲滅(せんめつ)させるまでの力を持った世界有数の海軍にまで育て上げている。
 陸軍は、フランス式を採用し訓練を行ったようである。だから、アメリカ人が教官になることはなかったのではないかと、私は想像している。ということは、オールグリン大尉のように外国人教官が明治政府に敵対する一族の味方になるというような話は、全くもって架空の出来事ということになる。

<西南戦争(西南の役)>
 映画「ラスト・サムライ」を観ていると、武士集団の長「勝元盛次」が「西郷隆盛」に、勝元の反乱が「西南戦争」に、ついつい結びついてしまう。

 西南戦争とは、どういうものか。
 「四民平等」で武士としての地位が無くなり「廃藩置県(はいはんちけん)」」で家禄(武士の給料)も貰えなくなった武士は、「国民皆兵」の徴兵制度で自分たちだけが優先して軍人になることも出来ず、不満を持つようになった。
 また、倒幕運動で働いた「薩摩藩」「長州藩」「土佐藩」の下級武士の中で、政府の中心に入った者は富と名誉を手に入れたが、優遇されなかった者も多かった。
 これらの不満下級武士は、各地で新政府への反乱を起こしていたが、それはちいさな反乱であった。
 しかし、鎖国していた朝鮮に開国を要求して朝鮮が拒否した時、西郷隆盛は、「朝鮮を征伐すべき」と所謂(いわゆる)「征韓論」を展開したが、「今は国内を充実させるべき」とする大久保利通などに負けてしまい、政府参議の要職を辞退し鹿児島にかえってしまったのきっかけに、西郷隆盛を中心に不平武士団が、今までに無い大規模な反乱を起こすことになったのが、「西南戦争」である。

 このように、武士団が新政府に反乱を起こすことや、反乱軍の中心人物がカリスマ性を持って慕われていることや、西郷隆盛にも勝元盛次にも「盛」の字が使われていることや、その彼が最後は自決することや、近代的兵器と訓練を受けた政府軍が圧倒的に勝利したことなどは、実際の歴史と「ラスト・サムライ」の似ているところであろう。